
またまた更新させていただくのが遅れてしまいました。せめて毎日更新できたらと願い、それが理想的とは思うのですが、今、いろいろな方面でひたすら手をつけて片付けていかないといけないものばかりがあり、あたふたしておりました。もしも、明日、僕が不慮の事故で亡くなるか、突然の神さまからのお呼び出しでこの世から去ったとしても、ちゃんと僕の大事な人には僕からのメッセージを確実に後でお届けしますので、どうか心のアンテナを立てておくことをお忘れなく・・・。なんて縁起の悪いことを、と言われるかもしれませんが、そういう『ゴースト』(この頃のデミ・ムーアいいっすね!)系ストーリーの映画が僕はマジに大好きなので申し訳ありません。
ここのところ、ずっと考えていたことがあります。
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「突き放す」言葉よりも、「引き寄せる」言葉が、大事・・・。
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僕は生まれたときから「突き放す」言葉ばかり浴びせられて生きてきました。まともに褒められたり励まされたりした記憶がありません。一生懸命没頭して絵を描いてたり短歌を生み出そうと努力していると、「なにをムキになってんの?どうせたいした金にならんくせに!お前の短歌は何を言いたいのか意味がわからんしね!」とののしられたり・・・心から感動する映画を観て思わず誰かにその胸の内を語ろうとすると、「何言ってんの?映画ってのは作り物なんだよ!ニセモノなわけ!そんなニセモノに心を動かされてどうすんの?こっちは忙しいんだから、あんたの無駄な話を聞いてるヒマはない!」とたしなめられたり・・・高校1年のときに初めて出会った太宰治の『人間失格』で本格的に文学に目覚め、ブンガクといえば「早稲田文学」(太宰治好きな僕は特に井伏鱒二先生!三浦哲郎先生!に憧れてました!)だし、なんとか早稲田に入らないといけないと思い猛勉強していると、周りの誰もが「うちの私立高校からは一人も早稲田に入った人はいませんので無理無理!高校時代には思いきり遊んでハジけてそれなりのレベルの大学に入ってさらに大学で遊ぶだけ遊んだ方が利口でっせ!」と笑われたり・・・誰ひとり「引き寄せる」言葉を僕にかけてくれた人はいません。でも、今となってはそういう「突き放す」言葉しか持てない人たちに感謝感謝です。おかげさまで僕の心身は叩かれ叩かれ鉄のように鍛えられましたので・・・ホント、感謝です。ありがとう。
今の僕は、誰かに対して言葉を使うときは、メールでも手紙でも口頭でも生み出す作品においても、「引き寄せる」言葉だけを使うように、と意識しています。絶対に「突き放す」言葉は使いたくないです。同じ内容のことを伝えるにしても、よくよく考えて、どんな言葉でもなるべく「引き寄せる」言葉へと頭の中で変換します(そのため僕は極度の考え過ぎ男になりつつありますが・汗)。もしも「突き放す」言葉を間違って誰かに使ってしまった場合は、すぐに心から反省し、必ず謝罪します。「頑張ってね!」という言葉でも、相手によっては「突き放す」言葉になりえるようで、そこをよくよく考えないといけないです。ああ、日本語って、難しいですね。短歌を書いていても現実の会話でも、「突き放す」言葉でなく、「引き寄せる」言葉をこそ、心から信じたいと思っています。「引き寄せる」言葉が持つ言霊を、音霊を、信じたいのです。
例えば、「@@@という映画を観たんだけど、話を聞いてくれる?」という人がいたら、「うるせぇなぁ!後にしてくんねぇ?俺は忙しいんだよな!」とその人を突き放さずに、たとえ忙しいときであっても夜中であっても眠たいときであっても、「うんうん!聞く聞く!どんな感想を持ったの?うんうん!」と笑顔を見せて一言でも二言でも多めに耳を傾けるようにしようと思っています。なるべくそうあろうと意識して、そうありたいと心がけるのです。特に、音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだり絵を見たりして何らかの霊感やメッセージを受けたとき、他の誰かにどうしても自分の話を聞いてもらいたいときが誰にでもあるわけで、そうして誰かが話を聞いてほしい、と自分の元に来たときは、絶対に突き放したりしたくはないです。ちゃんとその人を自分のそばに引き寄せて、思う存分、話を聞いてあげたい、と思うのです。心の目と心の耳をしっかりと見開いて・・・!!もしかしたら、その話は、天使がその人の体を使って僕に何らかのメッセージを届けようとしているかもしれないですし!!
今の僕には、自分の周囲に、そうして芸術的な話を気軽に出来る相手がいないからこそ、でしょうか・・・。
僕は、そういう意味では、淋しい、のです。でも、孤独であっても、ひたすら自分で自分を磨くしかないです。
わがふるさとは・・・淋しい町です。わが中心街にみろく横丁あり、と全国にアピールして飲み屋ばかり数多く揃えても空しいものです。何年先を見通して、どんな意味を込めての横丁なのやら?と頭をひねってしまいます。同じ酒を飲むのでしたら、自分だけの肝臓やお腹を満たすために飲むのでなくて、グルメ気取りのために飲むのでなくて、自己満足のために飲むのでなくて、もっともっと地域の文化を高めるために飲まなくては・・・。「酒を飲む」という本来の大きな意味を間違えては困るのです。文化を高めるってことは、未知の異分子を避けてそれを潰すことではないのです。同じ志を抱いた精神レベルの者同士が引き寄せ合うべきなのです。そうして芸術的な化学反応を起こすべきなのです。そのためにこそ、お酒は正しい人と正しい人とをしっかりとつなぐべき最適最良の潤滑油でなければなりません。
ひたすら居酒屋や飲食業店を街中に増やすことを考えるのでなく、もっともっと図書館や美術館や博物館を充実させ、なるべく早めに正しき文学館を建設することはできないのでしょうか?なぜ、今も三浦哲郎文学館を建てていないのか?それが疑問だらけの、わがふるさとです。至急、三浦哲郎文学館か八戸文学館を作っていただきたいです!三浦哲郎(ミウラ・テツオ)先生は、青森県でただ一人の芥川賞受賞作家ですし、太宰治文学と井伏鱒二文学と寺山修司記念館とも密接にリンクさせて、八戸を舞台にした映画やシナリオをも紹介できるような、地域文化の発展を考えた実りある文学館を建てていただきたいです!かのカフカ賞受賞の村上春樹の『ノルウェイの森』は三浦哲郎先生の『忍ぶ川』にインスパイアされて生まれた作品であります(村上春樹がインタビューで語っていました)。それに、島根はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)という文化人で100年食っているそうで、そういえば、ラフカディオ・ハーンは八戸市ともかなりの関連性があるんです!何年後かに八戸市の中心街に地域観光交流施設が出来るそうで、地域観光を最優先というお考えのようですが、地域観光でなく地域文化を最優先するべきではないでしょうか?地域文化のアピールを最優先することで地域観光もかなり充実してくるのに、と残念でなりません。
太宰治は、生前、若い人(愛読者や弟子)が自分の元に訪ねてきたら、たとえ仕事中であっても(ここがすごいです)、「おおっ!よく来たな!よっしゃ、これから飲みにいこうかぃ!」と叫んで、行きつけの飲み屋に連れて行ってビールやら日本酒をおごってくれたそうです。僕は、そういう太宰治のような人になりたいです。そういう太宰治のような人に今の僕は出会いたいです。お酒を飲んで芸術を語ることで、自分にとっても相手にとっても、もしかしたら何百年先も残り得る芸術作品が生まれるきっかけになるかもしれませんから・・・。今の僕は経済的に、誰かに気軽にお酒を奢れる身分ではないので悔しい限りですが、これから確実に大きくなります。自らの肉体が滅んでも、八戸市の文化を高めるための、青森県の文化を高めるための、東北地方の文化を高めるための、何かを必死で残していく覚悟です。
太宰治もビートルズも寺山修司も、今なお光り輝いているのは、彼らの作品のすべてが皆、「引き寄せる」言葉のかたまり、だからです。だからこそ、僕のような傷ついた心の持ち主の薬になり得るのです。ただし、誰にでも気軽に届くメッセージばかりでなく、よくよく味わったり読み込んだり噛み込んだりしないと心の底に届かないメッセージもあり(ここがポイントですね)、その秘密のメッセージを発見したときの快感は、生きていてよかった〜!と思わせるものです。
「太宰さん!あなたが今、生きているとしたら、今すぐに会いに行き、いっしょにお酒を飲みたいです!今、けっこう美味しいビールがあるんですよ!サントリーのプレミアムモルツ!エビスビール!美味いんです!太宰さんに飲ませてあげたいです!どうか僕を引き寄せてください!」
ときどきそんなことを自分で叫びながら、近くのスーパーマーケットで一番安い缶の発泡酒を6本パックで買ってきて、ひとりでチビチビ1本ずつ夜中に飲んでいます。発泡酒でない純粋のビールをいつも毎回気軽にほいほいと買えないでおりますが(涙)。
「ジョン!ジョージ!僕は英語をペラペラしゃべれないですけど、あなた方が今、生きているとしたら、会いに行きたいです!ほんの1分でもそばにいたいです!できれば英国のティーをいっしょに飲みたいです!どうか僕を引き寄せてください!」
「寺山さん!あなたが今、生きているとしたら、今すぐに会いに行きたいです!いっしょに映画を観に新宿の映画館までお供したいです!寺山さんはアルコールがダメだそうで、いっしょに青森のリンゴ果汁100%のジュースをぐいぐい飲みながら、渋谷駅の交差点でいっしょに黄昏れたいです!どうか僕を引き寄せてください!」
酔えば酔うほど、そんなことをぶつぶつと一人で会話している僕は、まるで恐山のイタコかもしれません(涙)。
先月上旬に「未来」誌6月号が届いておきながら、気力が無くて紹介できなかった僕の短歌をようやくアップします(遅れてしまいまして、ごめんなさい)。岡井隆先生に10首お送りしましたが、3首カットで7首掲載です。10首コンプリート掲載はなかなか難しいです(汗)。
「旅の途中」(大庭礼治)
孤独というオープンカーで砂漠過ぎ、デルヴォーの裸おんなの町へ
一糸まとわぬ女がゾンビのごとくに徘徊す。ああ、人工楽園。
目をふさがれていく旅の途中、縫われた瞼を無理に裂いたばかりに、
ゾンビの着ぐるみ着ないと生きていけないこの町がわがふるさとなり
現在と過去のねじれた隙間からボールを投げ入れた未来のわたし
世界の終わりは僕の終わりで君の終わりでなく終わらせる僕
見るべきだった過去の画が現在の窓に貼り付く 時空曲げられて
(「未来」誌2008年6月号より)

ベルギーの画家ポール・デルヴォーの絵が僕はめちゃくちゃ大好きなので、それを全体的なイメージの流れとした上で、「HEROES/ヒーローズ」というアメリカのテレビドラマのシーズン1を全エピソード(DVDで全11巻!)観終わって感じた印象をも絡ませて、まとめてみました。4首めは、わがふるさとに対しての真摯な想いを込めてあります。(今回公開しました僕が描いたデルヴォー風の絵も御覧くだされば嬉しいです)
先日「ザ・ベストハウス123」というテレビ番組(ロンドンブーツ1号2号と本上まなみさんが司会でいろんなネタのベスト3を紹介している番組です)で、サヴァン症(自閉症)の特集をやっていて、それを観て僕は感動しました。サヴァン症の第1位は、映画『レインマン』のモデルにもなったアメリカのキム・ピークさんで、もう50代になっているキムさんは今も80代の老父にひげを剃ってもらったり靴下を履かせてもらったりしているのですが(この老父もたいしたものだと感激!息子を突き放さず引き寄せるパワーは世界でも最高レベルでしょう)、恐るべき偉大な脳みその持ち主です。電話帳や書物を何千冊も1ページ1ページをまるごと暗記できるし、一瞬のうちにマッチ棒の数を数えることができるし、どこか人間としての能力に欠けている部分があると違う部分が異常に発達してくるというわけで、観ていて自分も右脳と左脳のバランスについていろいろと考えさせられました。
そんなキムさんが番組のラストで脳科学者の茂木健一郎さんにモジモジしながら伝えたセリフが忘れられません。
「自分がしてほしいということを、人にしてあげると、世界はよくなるんです」
このセリフこそ、「引き寄せる」言葉、そのものです!誰だって、誰かに突き放されたくないものです!誰だって、誰かに引き寄せてもらいたいんです!僕も、人を「突き放す」のでなく、人を「引き寄せる」言葉のかたまり、になりたいです。そのためにも、毎日毎日、前向きに頑張ります。自分が生きているあいだに、八戸を、青森県を、日本を、世界を、地球を、少しでも僕なりに精一杯良くしたい、と願っています!
(ここでジョン・レノンの『STAND BY ME』を僕の頭の中で流します!またジョンのイラストを描いてしまいました!)