2009年07月02日

続 辰巳泰子短歌朗読ライブ

「へいけうたのあかり」第四弾

 「へいけうたのあかり」 第四弾

    おおさか弁の平家物語、辰巳泰子本
<自分の子ぉを戦場へ送りとぅない女の、歌がたり>


2009年 7月12日(日) 開場15:30/開演16:00〜18:00
    於 JazzBarサムライ Tel 03-3341-0383
       新宿3-35-5 守ビル5F(JR新宿駅東南口〜徒歩2分)
    入場料:2000円 (1drink付)

【対 談】 ゲスト: 佐々木六戈(俳人)、お題: 「異端ごっこ」
【朗読劇】 文覚荒行、頼朝旗揚げ、清盛あッち死に(巻五〜六)を中心に歌物語
 ※飛入さんの朗読歓迎!(一首または一句)

  悪口雑言ゆるさねばうたは成らぬかなそらを抜きたるごとき月光  泰子

▽「眠れない夜を越えて」歌人・辰巳泰子の公式HP
 http://www.geocities.jp/tatumilive/index.html

▽BBS「俳の細道」続 辰巳泰子朗読ライブ
 http://8217.teacup.com/samurai/bbs/778

「へいけうたのあかり」第三弾の写真
*前回「へいけうたのあかり」第三弾の時             Photo by Jiken

【お知らせの最新記事】
posted by 二健 at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

辰巳泰子短歌朗読ライブ

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zekkyo091bwt.JPG 「へいけうたのあかり」第三弾

  おおさか弁の平家物語、辰巳泰子本。
  平家歌灯は、自分の子ぉを戦場へ送りとぅない女の、歌がたり。

 【日時】 2009年4月19日(日)16:30〜18:00
 【会場】 新宿三丁目 JazzBarサムライ

 【演目】 巻四「競」「橋合戦」他。
       短歌は「辰巳泰子集」他から構成。

 【作・出演】 辰巳泰子/ 【ギター演奏】 加藤尚彦
 【料金】 1500円(ワンドリンク付)

 【余興】 投稿作品の朗読あります。
  (希望者は一首または一句を当日ご持参ください。内容自由)
  飛入の朗読歓迎。

 【会場案内】 JazzBarサムライ 新宿区新宿3-35-5 守ビル5F 
   (JR新宿駅東南口階段下り高架沿い直ぐ) Tel 03-3341-0383

 地図 http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13040199/
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   これつきりこれつきりとて母となりゆめに拭きやれば大男なり   泰子
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  ▽「眠れない夜を越えて」歌人・辰巳泰子の公式ホームページ
    http://www.geocities.jp/tatumilive/index.html
    ▽「へいけうたのあかり」第三弾。JazzBarサムライにて
    http://www.geocities.jp/tatumilive/utanoakari.htm
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posted by 二健 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月01日

福島泰樹『短歌絶叫コンサート』一夜の記録

福島泰樹『短歌絶叫コンサート』 Tanka Zekkyo '09.1.10


「短歌絶叫コンサート」へ参上
                          宮ア二健
去る2008年の10月、当「俳ラ15」の飛入りで脚光を浴びた
葛原りょう氏(歌人名・高坂明良)に誘われて、
初めて吉祥寺の曼荼羅へ行く機会を得た。
ライブは泣く子も黙る福島泰樹『短歌絶叫コンサート』。
今回は、短歌朗読界の強者三者が一堂に会して、
それぞれの熱演が見られるという又とないチャンス。
期待を裏切らない充実した朗読ライブだった。
かぶりつきの最前列で堪能した。
7時半から10時半近くまで精力的に繰り広げられた。
一部と二部の間に休憩が入り、計3時間弱の時間が
まったく間延びせず、退屈することもなく、
入魂の朗読者たちに釘付けになり、我が魂も引き込まれた。

出演の順番は、福島泰樹とピアニスト永畑雅人〜ゲストの高坂明良、
そして辰巳泰子、休憩を挟んで福島とピアニスト〜
急遽元ボクサーのシャドーボクシング、そして福島の締めくくり。

高坂明良は、例によってピアソラの「オブリビオン」をBGMに
詩を朗読した。ピアソラ・タンゴの滑舌の良いリズムに乗る
悲哀の旋律が、高坂のエモーショナルな詩の朗読に相乗し、
いっそう悲壮感を増す。
そして力強く深い抒情を秘めつつ高揚していくサウンドに、
高坂の詩篇朗読は、単なる朗読を超え、肉声の火の玉(魂)となる。
先達の福島がそうであるように、高坂もまた聴衆を巻き込みながら
カタルシスの石段を駆け上がり頂で虹を見る。
眼差しの真剣さは終始貫かれている。
目は泳がず、照れず、誤魔化さず、媚びず、言い訳せず、
謙虚に、真摯に…、表現行為の偽らざる態度だ。

辰巳泰子は、肌襦袢姿で素朴な唄を口ずさみながら登場した。
両足に履いた靴は黒いスニーカーだったと思う。
このちぐはぐな出立ちは和洋折衷か和魂洋才か。はてまた晴と褻か。
私は別な機会に何度か、辰巳の唄いを聞いたことがある。
格段上手いわけではないが、普段使われていない心の襞が共振する。
歌人といえど短歌朗読ばかりではなく、劇性を考慮してのことであろう。
機会や気分にもよるが、所望すれば快く唄ってくれる
人であることを付け加えておこう。
辰巳の口ずさむような唄いは、短歌朗読とは別口の、
親しみ易さや過ぎし日の暖かさを感じる。
私は晴へ到る褻のイントロダクションと捉えた。
然るにドラマに陰影をつけ奥行きを深くした。
客席の日常から舞台の非日常へ至る花道の唄いだった。
ご本人の日記サイト「ライブと創作のためのノート」によると
舞台への出がけに口ずさんだのは「茶木みやこさんの歌」だそうな。
朗読の原稿は、辰巳の主宰する短歌結社誌「月鞠」復刊記念第六号に
掲載されている百首歌「懸想文」。
同誌が手元にあるので4首抜いてみる。

  心ばへに歌は遣らんと垣間見し痰壺に溺れゐしや月かげ
  黒々とわたしひとりの近江なれ しじまに肉のかなしみ濯ぐ
  真ん中でぐづる子供のまるい影 三鷹電車庫陸橋の上
  空蝉に魂の宿りを祈るごとあさぞらに差し出せり 懸想文

俳句と違って、文字情報の多い短歌の百首とは相当な量だ。
あまり欲張ると時間に追われて、単調になりがちだが、
辰巳は持ち時間という金魚鉢の中を悠々と魅惑的に泳ぎ回った。
私のライブ鑑賞は短歌作品の文学上の内容よりも、
その場の生き様や雰囲気に浸ってしまうのが常だ。
言葉や意味よりもイメージに負うところが大きい。

福島泰樹は、何かの意図だと思うが、
高坂と同じ曲で中原中也の「別離」を絶叫した。
  「さよなら、さよなら!
   いろいろお世話になりました〜」

悲壮感の波打つピアソラの曲は絶叫系に合うのだ。
バンドネオンではないが、ピアニスト永畑雅人が
持ち替えで奏するピアニカもいいムードを湛えた。
聞きしに勝る福島のライブ表現は、
やはり青春を一途に生きたロマンの悲哀を、
魂を込めて感じさせてくれる詩歌絶叫だ。
交友ありきという夭折のミュージシャンを悼む短歌や、
村山槐多の詩の朗読など、レパートリーが広い。
そうかと思えば、親しい元ボクサーを舞台に上げ、
ビアノとシャドーボクシングのコラボレーションを始めた。
フリーキーな打鍵と徒手空拳のスリリングな戦いだ。
挫折のボクサーの目は輝いていた。
深々と一礼をして去った。

福島の取り上げるものは、人生賛歌や喜劇ではなく、
命がけで燃えた青春の頁のオマージュとレクイエムだ。
やり場のない焦燥感や、挫折感、世のまやかしに抗い、
もがく人影…。
福島の身体と声が執拗に投影するシルエットの重なりと孤影。
映写機のリールがキュルキュルと音を立てて回り続ける。
その昭和臭のする吹き溜まりの劇場に足を踏み入れ、
書き付けられた詩の、短歌の、朗読の、
息吹を目の当たりにした。
舞台の床に散った縒れた紙片。
その込み入った書き込み跡。
文字と汗の混濁。臭う言霊。

満席の客席に居合わせた西野りーあ、月乃光司、森川雅美ら、
各方面の詩人の面々も曼荼羅のライブな空気をソウルフルにした。
とにかく年頭に詩歌朗読の入魂の極みを鑑賞できたことは幸運だった。
高坂氏率いる9名での、終電までの二次会も大変有意義だった。
自分はもちろん、一期一会だった各方々の今後の活躍に期待しよう。

  絶叫す昨日のジョーの恵方かな  二健


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初出:BBS「俳の細道」http://8217.teacup.com/samurai/bbs
   記事「入魂の朗読コンサート」
   http://8217.teacup.com/samurai/bbs?BD=7&CH=5&OF=0#CID771
posted by 二健 at 16:50| Comment(5) | TrackBack(0) | 朗読動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

辰巳泰子短歌朗読劇「曠野」YouTube



辰巳泰子短歌朗読劇「曠野(あら・の)」のライブで
客席より取材した写真等イメージを基にして
スライドショーを制作し、YouTube にアップしました。
朗読された短歌作品数首は、
ブログ「辰巳泰子のライブ写真など」の記事から拝借しました。
 http://d.hatena.ne.jp/tatumiyasuko/
※写真と短歌、その順序は必ずしも一致同調していません。
動画制作者小生なりのアレンジしたストーリー仕立てになっております。
短歌朗読表現最先端の「曠野」のライブ鑑賞の感動を、
より多くの方々に伝えられたら幸いです。 8-529

2008.8.9 on YouTube
 http://jp.youtube.com/watch?v=_fZ4jibFMEg
posted by 二健 at 02:40| Comment(0) | 朗読動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

歌劇楽団鑑賞歌

(煉獄サアカスLIVE「マドリーと黒猫騎士団」に取材-30首)

h-nakano7.jpg

  煉獄のメロディ
                           宮崎二健

七月の日差しを背負い地下室の煉獄サアカス花火の如し
口上の韻律を次ぐ喇叭隊よよ絡みつく青蔦の兵
銀色の横笛構え黒髪のダンディ一際さえずりの時
へその緒のつながりしまま爪弾くは果鈴歯という魔法のランプ
右手にはビールジョッキの冷たさをその片方は握られた汗
歌姫の胸板借りた地平にも一輪車来て茜雲浮く
踊り子の痩身包む黒ごろも腰で鳴き合う金属片よ
断腸の思いで臨む団長の爪弾くギター軍配の如
雛壇の女雛男雛の持物にて魔法の絨毯操られたり
暗幕も人の区別もなく照らすミラーボールの水玉の群
桟敷には親子連れいて長閑なり三角氷菓の運ばれて来し
ブロウするアルトの女アルルの女猫なで声は闇に置き去り
貝殻の釦押さえる細い指朝顔からは蝌蚪の渦巻
たましいの玉を操る曲芸師一つも零さぬことが怪しい
弓を向け弓で射るまいキューピット押さえつけたる指の震えよ
黒猫に弓張月は匿われ漣を呼びたもう役目を
稜線に掲げられたりタンバリン数多の衛星共鳴りしたり
竪琴の産み落としたる星屑を拾い集めてお裾分けせん
彼方では電気ベースの螺子巻かれ桟敷の釘の頭を撫でる
頂のバイオリン弾まで振れる空中ブランコ軍配ギター
黒猫の暗躍の街マタタビを混入されたオレンジジュース
焼酎の瓶を手にした女優でも黒猫の単語を諳んじきれない
鉄の輪のつながり離れ組まれては我獅子となり跳んで火に入る
頭頂に剣天秤頂いてつり合い保つ踊り猫たち
アコーディオンの蛇腹は大蛇の伝説の名残と紛うオロロロロロロ
歌を止め激辛占い始めたりオペラの声のぶり返しつも
東西南北黒揚羽舞うサアカスの川の畔で脚が痺れる
サアカスの出口の階段上りては歌姫おられ背後見られし
まだ昼の東中野の飲み屋街ジャズ猫金魚余韻の路地よ
土手茂り東中野の東口階段改札階段ホーム

―――――――――――――――――――――――
                    7-395
煉獄サアカスLIVE「マドリーと黒猫騎士団」鑑賞
2008.7.13(日)14:00〜
於東中野「ライブダイナープリズントーキョー」
HP「煉獄サアカス」
 http://rengoku-circus.info/
関連記事→Blog「サムライ図書缶」に感想文
 http://shinjyuku.seesaa.net/
posted by 二健 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

デルヴォーと太宰治と引き寄せる言葉

LENNON.LOVE.jpg

 またまた更新させていただくのが遅れてしまいました。せめて毎日更新できたらと願い、それが理想的とは思うのですが、今、いろいろな方面でひたすら手をつけて片付けていかないといけないものばかりがあり、あたふたしておりました。もしも、明日、僕が不慮の事故で亡くなるか、突然の神さまからのお呼び出しでこの世から去ったとしても、ちゃんと僕の大事な人には僕からのメッセージを確実に後でお届けしますので、どうか心のアンテナを立てておくことをお忘れなく・・・。なんて縁起の悪いことを、と言われるかもしれませんが、そういう『ゴースト』(この頃のデミ・ムーアいいっすね!)系ストーリーの映画が僕はマジに大好きなので申し訳ありません。
 ここのところ、ずっと考えていたことがあります。

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「突き放す」言葉よりも、「引き寄せる」言葉が、大事・・・。
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 僕は生まれたときから「突き放す」言葉ばかり浴びせられて生きてきました。まともに褒められたり励まされたりした記憶がありません。一生懸命没頭して絵を描いてたり短歌を生み出そうと努力していると、「なにをムキになってんの?どうせたいした金にならんくせに!お前の短歌は何を言いたいのか意味がわからんしね!」とののしられたり・・・心から感動する映画を観て思わず誰かにその胸の内を語ろうとすると、「何言ってんの?映画ってのは作り物なんだよ!ニセモノなわけ!そんなニセモノに心を動かされてどうすんの?こっちは忙しいんだから、あんたの無駄な話を聞いてるヒマはない!」とたしなめられたり・・・高校1年のときに初めて出会った太宰治の『人間失格』で本格的に文学に目覚め、ブンガクといえば「早稲田文学」(太宰治好きな僕は特に井伏鱒二先生!三浦哲郎先生!に憧れてました!)だし、なんとか早稲田に入らないといけないと思い猛勉強していると、周りの誰もが「うちの私立高校からは一人も早稲田に入った人はいませんので無理無理!高校時代には思いきり遊んでハジけてそれなりのレベルの大学に入ってさらに大学で遊ぶだけ遊んだ方が利口でっせ!」と笑われたり・・・誰ひとり「引き寄せる」言葉を僕にかけてくれた人はいません。でも、今となってはそういう「突き放す」言葉しか持てない人たちに感謝感謝です。おかげさまで僕の心身は叩かれ叩かれ鉄のように鍛えられましたので・・・ホント、感謝です。ありがとう。
 今の僕は、誰かに対して言葉を使うときは、メールでも手紙でも口頭でも生み出す作品においても、「引き寄せる」言葉だけを使うように、と意識しています。絶対に「突き放す」言葉は使いたくないです。同じ内容のことを伝えるにしても、よくよく考えて、どんな言葉でもなるべく「引き寄せる」言葉へと頭の中で変換します(そのため僕は極度の考え過ぎ男になりつつありますが・汗)。もしも「突き放す」言葉を間違って誰かに使ってしまった場合は、すぐに心から反省し、必ず謝罪します。「頑張ってね!」という言葉でも、相手によっては「突き放す」言葉になりえるようで、そこをよくよく考えないといけないです。ああ、日本語って、難しいですね。短歌を書いていても現実の会話でも、「突き放す」言葉でなく、「引き寄せる」言葉をこそ、心から信じたいと思っています。「引き寄せる」言葉が持つ言霊を、音霊を、信じたいのです。
 例えば、「@@@という映画を観たんだけど、話を聞いてくれる?」という人がいたら、「うるせぇなぁ!後にしてくんねぇ?俺は忙しいんだよな!」とその人を突き放さずに、たとえ忙しいときであっても夜中であっても眠たいときであっても、「うんうん!聞く聞く!どんな感想を持ったの?うんうん!」と笑顔を見せて一言でも二言でも多めに耳を傾けるようにしようと思っています。なるべくそうあろうと意識して、そうありたいと心がけるのです。特に、音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだり絵を見たりして何らかの霊感やメッセージを受けたとき、他の誰かにどうしても自分の話を聞いてもらいたいときが誰にでもあるわけで、そうして誰かが話を聞いてほしい、と自分の元に来たときは、絶対に突き放したりしたくはないです。ちゃんとその人を自分のそばに引き寄せて、思う存分、話を聞いてあげたい、と思うのです。心の目と心の耳をしっかりと見開いて・・・!!もしかしたら、その話は、天使がその人の体を使って僕に何らかのメッセージを届けようとしているかもしれないですし!!
 今の僕には、自分の周囲に、そうして芸術的な話を気軽に出来る相手がいないからこそ、でしょうか・・・。
 僕は、そういう意味では、淋しい、のです。でも、孤独であっても、ひたすら自分で自分を磨くしかないです。
 わがふるさとは・・・淋しい町です。わが中心街にみろく横丁あり、と全国にアピールして飲み屋ばかり数多く揃えても空しいものです。何年先を見通して、どんな意味を込めての横丁なのやら?と頭をひねってしまいます。同じ酒を飲むのでしたら、自分だけの肝臓やお腹を満たすために飲むのでなくて、グルメ気取りのために飲むのでなくて、自己満足のために飲むのでなくて、もっともっと地域の文化を高めるために飲まなくては・・・。「酒を飲む」という本来の大きな意味を間違えては困るのです。文化を高めるってことは、未知の異分子を避けてそれを潰すことではないのです。同じ志を抱いた精神レベルの者同士が引き寄せ合うべきなのです。そうして芸術的な化学反応を起こすべきなのです。そのためにこそ、お酒は正しい人と正しい人とをしっかりとつなぐべき最適最良の潤滑油でなければなりません。
 ひたすら居酒屋や飲食業店を街中に増やすことを考えるのでなく、もっともっと図書館や美術館や博物館を充実させ、なるべく早めに正しき文学館を建設することはできないのでしょうか?なぜ、今も三浦哲郎文学館を建てていないのか?それが疑問だらけの、わがふるさとです。至急、三浦哲郎文学館か八戸文学館を作っていただきたいです!三浦哲郎(ミウラ・テツオ)先生は、青森県でただ一人の芥川賞受賞作家ですし、太宰治文学と井伏鱒二文学と寺山修司記念館とも密接にリンクさせて、八戸を舞台にした映画やシナリオをも紹介できるような、地域文化の発展を考えた実りある文学館を建てていただきたいです!かのカフカ賞受賞の村上春樹の『ノルウェイの森』は三浦哲郎先生の『忍ぶ川』にインスパイアされて生まれた作品であります(村上春樹がインタビューで語っていました)。それに、島根はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)という文化人で100年食っているそうで、そういえば、ラフカディオ・ハーンは八戸市ともかなりの関連性があるんです!何年後かに八戸市の中心街に地域観光交流施設が出来るそうで、地域観光を最優先というお考えのようですが、地域観光でなく地域文化を最優先するべきではないでしょうか?地域文化のアピールを最優先することで地域観光もかなり充実してくるのに、と残念でなりません。

 太宰治は、生前、若い人(愛読者や弟子)が自分の元に訪ねてきたら、たとえ仕事中であっても(ここがすごいです)、「おおっ!よく来たな!よっしゃ、これから飲みにいこうかぃ!」と叫んで、行きつけの飲み屋に連れて行ってビールやら日本酒をおごってくれたそうです。僕は、そういう太宰治のような人になりたいです。そういう太宰治のような人に今の僕は出会いたいです。お酒を飲んで芸術を語ることで、自分にとっても相手にとっても、もしかしたら何百年先も残り得る芸術作品が生まれるきっかけになるかもしれませんから・・・。今の僕は経済的に、誰かに気軽にお酒を奢れる身分ではないので悔しい限りですが、これから確実に大きくなります。自らの肉体が滅んでも、八戸市の文化を高めるための、青森県の文化を高めるための、東北地方の文化を高めるための、何かを必死で残していく覚悟です。
 太宰治もビートルズも寺山修司も、今なお光り輝いているのは、彼らの作品のすべてが皆、「引き寄せる」言葉のかたまり、だからです。だからこそ、僕のような傷ついた心の持ち主の薬になり得るのです。ただし、誰にでも気軽に届くメッセージばかりでなく、よくよく味わったり読み込んだり噛み込んだりしないと心の底に届かないメッセージもあり(ここがポイントですね)、その秘密のメッセージを発見したときの快感は、生きていてよかった〜!と思わせるものです。

「太宰さん!あなたが今、生きているとしたら、今すぐに会いに行き、いっしょにお酒を飲みたいです!今、けっこう美味しいビールがあるんですよ!サントリーのプレミアムモルツ!エビスビール!美味いんです!太宰さんに飲ませてあげたいです!どうか僕を引き寄せてください!」

 ときどきそんなことを自分で叫びながら、近くのスーパーマーケットで一番安い缶の発泡酒を6本パックで買ってきて、ひとりでチビチビ1本ずつ夜中に飲んでいます。発泡酒でない純粋のビールをいつも毎回気軽にほいほいと買えないでおりますが(涙)。

「ジョン!ジョージ!僕は英語をペラペラしゃべれないですけど、あなた方が今、生きているとしたら、会いに行きたいです!ほんの1分でもそばにいたいです!できれば英国のティーをいっしょに飲みたいです!どうか僕を引き寄せてください!」

「寺山さん!あなたが今、生きているとしたら、今すぐに会いに行きたいです!いっしょに映画を観に新宿の映画館までお供したいです!寺山さんはアルコールがダメだそうで、いっしょに青森のリンゴ果汁100%のジュースをぐいぐい飲みながら、渋谷駅の交差点でいっしょに黄昏れたいです!どうか僕を引き寄せてください!」

 酔えば酔うほど、そんなことをぶつぶつと一人で会話している僕は、まるで恐山のイタコかもしれません(涙)。

 先月上旬に「未来」誌6月号が届いておきながら、気力が無くて紹介できなかった僕の短歌をようやくアップします(遅れてしまいまして、ごめんなさい)。岡井隆先生に10首お送りしましたが、3首カットで7首掲載です。10首コンプリート掲載はなかなか難しいです(汗)。

  「旅の途中」(大庭礼治)
孤独というオープンカーで砂漠過ぎ、デルヴォーの裸おんなの町へ
一糸まとわぬ女がゾンビのごとくに徘徊す。ああ、人工楽園。
目をふさがれていく旅の途中、縫われた瞼を無理に裂いたばかりに、
ゾンビの着ぐるみ着ないと生きていけないこの町がわがふるさとなり
現在と過去のねじれた隙間からボールを投げ入れた未来のわたし
世界の終わりは僕の終わりで君の終わりでなく終わらせる僕
見るべきだった過去の画が現在の窓に貼り付く 時空曲げられて
              (「未来」誌2008年6月号より)    

DELVAUX.jpg
 ベルギーの画家ポール・デルヴォーの絵が僕はめちゃくちゃ大好きなので、それを全体的なイメージの流れとした上で、「HEROES/ヒーローズ」というアメリカのテレビドラマのシーズン1を全エピソード(DVDで全11巻!)観終わって感じた印象をも絡ませて、まとめてみました。4首めは、わがふるさとに対しての真摯な想いを込めてあります。(今回公開しました僕が描いたデルヴォー風の絵も御覧くだされば嬉しいです)

 先日「ザ・ベストハウス123」というテレビ番組(ロンドンブーツ1号2号と本上まなみさんが司会でいろんなネタのベスト3を紹介している番組です)で、サヴァン症(自閉症)の特集をやっていて、それを観て僕は感動しました。サヴァン症の第1位は、映画『レインマン』のモデルにもなったアメリカのキム・ピークさんで、もう50代になっているキムさんは今も80代の老父にひげを剃ってもらったり靴下を履かせてもらったりしているのですが(この老父もたいしたものだと感激!息子を突き放さず引き寄せるパワーは世界でも最高レベルでしょう)、恐るべき偉大な脳みその持ち主です。電話帳や書物を何千冊も1ページ1ページをまるごと暗記できるし、一瞬のうちにマッチ棒の数を数えることができるし、どこか人間としての能力に欠けている部分があると違う部分が異常に発達してくるというわけで、観ていて自分も右脳と左脳のバランスについていろいろと考えさせられました。
 そんなキムさんが番組のラストで脳科学者の茂木健一郎さんにモジモジしながら伝えたセリフが忘れられません。

「自分がしてほしいということを、人にしてあげると、世界はよくなるんです」

 このセリフこそ、「引き寄せる」言葉、そのものです!誰だって、誰かに突き放されたくないものです!誰だって、誰かに引き寄せてもらいたいんです!僕も、人を「突き放す」のでなく、人を「引き寄せる」言葉のかたまり、になりたいです。そのためにも、毎日毎日、前向きに頑張ります。自分が生きているあいだに、八戸を、青森県を、日本を、世界を、地球を、少しでも僕なりに精一杯良くしたい、と願っています!
(ここでジョン・レノンの『STAND BY ME』を僕の頭の中で流します!またジョンのイラストを描いてしまいました!)
posted by 礼治 at 08:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

秋葉原と地震と鉄腕アトム

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RREAL_ATOM_08.06.16…
 ここのところ、ずっと更新されていなくて、大変大変御無沙汰しておりました(涙)。
 先日、とある短歌の締切があり、短歌を100首以上もドドドドドッと産み出して、さらに80首にまとめたりしたため、精神的にも肉体的にも消耗してしまいました。小説を書くにしても短歌を書くにしても絵を描くにしてもかなりのエネルギーが必要です。それをわかってくれる人もいれば、わかってくれない人もいます。わかってくれない人というのは、歌人は簡単にホイホイッと短歌を書き、詩人は簡単にホイホイッと詩を書き、作家は簡単にホイホイッと小説を書き、画家は簡単にホイホイッと絵を描き、ミュージシャンは簡単にホイホイッと曲を作るものと思い込んでいるようです。「そんなことない!産みの苦しみは痛々しいものであって、命と引き換えの場合だってあるんだよ!」と声高に言ってくれる人としか僕は話が合わないかも、です。確かにホイホイッと作品を産み出せるようになれたら最高なのですが・・・これも神さまからのインスピレーションであり贈り物ですし・・・。ケーキ屋さんだってホイホイッとケーキを作る(垂れ流し?)職人もいますし、食べてくれるお客さんのために悩んで試行錯誤しながら一日にたったの一個もケーキを作れるか作れないかわからない職人さんもいますし・・・。何事も、その人の捉え方感じ方次第かもしれません。

 最近、ふと思ったことを書かせていただきます。
 先週の日曜日(6月8日)に起こった秋葉原での無差別殺人事件にはビックリしました。7人もの尊い命が奪われたそうで、愕然としました。他に10人もの重傷の人がいて今も病室で苦しんでるでしょうし・・・。ショックでした。哀れでした。しかも、殺人犯である加藤容疑者は青森市出身で青森高校卒業だそうで、僕は青森県人なのでなおさら胸が痛くなりました。青森県人のイメージが悪くなった事件だと思うと、ますます悲しくなりました。被害者の親御さんや家族や友人知人の中には、今回の事件のせいで、青森県人を目の敵にする人のひとりやふたり出てきそうな気もします。青森高校って、太宰治と寺山修司の母校なので、さらに驚きです・・・。
 東京や他県の人から見ますと、青森県の人は、青森市に住んでいようが八戸市に住んでいようが、皆、同じと決めつけられがちです。でも、同じ青森県に住んでいても、青森市の人と、八戸市の人は、違う、と僕は思っています。津軽(青森市、弘前市、五所川原市、他)と南部(八戸市、三沢市、十和田市、他)とでは、極端に言えば、同じ青森県に住んでいても、どこか人種が違うような雰囲気を感じます。僕はもちろん八戸に住んでいて南部の人間ですが、津軽の人がしゃべっているのを聞いても(津軽弁ですね)、何を言っているのかさっぱりわかりません。真剣に聴こうと思えば、なんとか徐々に、相手が何を言っているのかわかってくるのですが・・・。そして、同じ南部でも、八戸の人と三沢の人と十和田の人とでも、なんだか違和感があります。そして、僕の場合、同じ八戸にいても、八戸の人とも違和感を感じます。八戸では、どこに行っても縄張り意識が強過ぎるような気がします。同じ高校を出ている者同士でないと仲間にしないし相手にしないし、同じ町内会や同じサークルや同じグルメの会や同じ会社の同士でないと無視し合うし、ある社会的レベル(それってどんなレベルなんだか・涙)に達していないと誰も見向きもしませんし、文化的な面でもスポーツ的な面でも目に見える形で望ましい良い結果を出さないと、即!浮浪者!邪魔者!扱い(極端に言えば、ですが・汗)です。そして、東京にいるときに、たまたま同じ八戸出身の人とどこかで出会ったときの場合でも、相手の反応が極端でして、同じ高校か同じ町内か、その人と同等かそれ以上の社会的レベルか、何か目に見える形で結果を出していなければ、いい顔を決して見せてくれません。その反対に、きちんと心の目で見てくれ、まったく差別しない人もいますが、それはかなりの少数派です。そういうものです(涙)。

 結局、僕は、どこにも居場所がない、のかもしれません。本当の自分でいられる場所が現実のどこにもないのです。自分の居場所があるとしたら、映画の世界の中、書物の世界の中、音楽の世界の中、想像の世界の中、だけです。そういう世界の中では、決して差別も格差も戦争も無視もないですから・・・(と、僕は僕なりに信じています)。
 津軽の太宰治も、津軽と南部のあいの子のような寺山修司も、南部の三浦哲郎先生(八戸出身の芥川賞作家です!「忍ぶ川」は必読です!)も、青森県から離れて、東京で暮らしているのを考えると、僕は青森県八戸市で暮らしていることが正しいのか正しくないのか悩んでしまいます。ときどき、岩手の宮沢賢治のことを考えたりして、東京で暮らせなくても、地方にいることのメリットもあるはずと思うようにしています。地方にいるということは、余計なことを考えなければ、かなり集中できる環境でもあるからです。僕は自分がサナギだと思うようにしています。死ぬまでサナギか、あるいは、生きているあいだに運良くサナギから蝶になれるかわかりませんが、それは、一種の人生の賭け、であります。

 さて、秋葉原無差別殺人事件の加藤容疑者ですが、太宰治と寺山修司という偉大な先輩を輩出した青森高校の出身でありながら、どうして、ダガーナイフという凶器に頼ることを考えずに、自らの言葉を磨き、自らの人生を高めることを思いつかなかったのでしょうか?「誰か(自分を)止めてくれればよかったのに!」と捕まってから供述していたり、携帯の掲示板では「死ねないから生きてるだけの毎日ですよ」と書き込んでいたりしていた加藤容疑者ですが、なぜ、携帯をいじってばかりいないで、もっともっといろいろな本を真剣に読んでくれなかったのか、と、それが残念です。少なくとも高校の大先輩である太宰治と寺山修司の本は真面目に読んでほしかったです。文学の深い深い森には、真剣に探せば、どんな思いでも受け入れてくれる大きな器もあるからこそ、です。太宰治も寺山修司も、死ねないからからこそ生きてるだけの毎日を過ごした日々が若い頃にあり、その空しいどうしようもない思いを見事に作品に昇華していったのに・・・。無差別に他人を実際に7人も殺すよりも、脳裏にある想像の世界で自分自身の邪念を何度も殺し、正しく生まれ変わることで、レベルアップしてほしかった、と残念です。「会社が悪い、親が悪い、社会が悪い!」と自己中心的な言い方をするよりも、自分自身で変えられるものは確実に変えていくべきだったと思うのです。

 さらに物悲しいのは、秋葉原で作戦を決行しようとし、静岡から秋葉原までトラックで行く途中、加藤容疑者の心を動かすものが何もなかったのか?ということです。途中での車内はどういう状況だったかはっきりとは知りませんが、ラジオから流れる音楽、CDデッキから流れる曲、視界に飛び込んでくる風景や看板の文字、ふと外部から耳に届く様々な種類の音、のいずれにも加藤容疑者の心を180度変えられるようなものが何もなかったのでししょうか。僕は自分が加藤容疑者だったとしたら、車内でビートルズの曲が1秒でも2秒でも流れてきただけで、バカな考えは速攻で捨てられます。ビートルズの「愛こそすべて」を車の中で聴いただけで、周囲の歩行者に対しても乗用車に対しても優しくなれます。ラジオから例えばシャネルズの「ランナウェイ」や近藤真彦の「スニーカーぶる〜す」やスピッツの「ロビンソン」やストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」やドアーズの「ハートに火をつけて」が流れてきても、過去の場面をいろいろと思い出し、邪念を振り払い、我に返ることでしょう。

 亡くなられた7人の犠牲者の御冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、重傷の方々には心よりお見舞い申し上げます。特に21歳で亡くなられた武藤舞さん・・・告別式でお友達がビートルズを演奏してくれたそうで、それをテレビのニュースで知って、僕はかなり泣きました。最初ビートルズの何という曲を演奏されたかわからなくて、たぶん「レット・イット・ビー」か「イン・マイ・ライフ」、ジョンの「イマジン」だったのではないかと勝手に想像しましたが(僕は自分のお葬式にこれらを流してほしいと思ったりしたので人ごとに思えなくて・・・)、調べましたら「ヘイ・ジュード」だったそうで・・・。武藤舞さんが好きだったという「ヘイ・ジュード」の曲は、恋と人生の悩みで落ち込んでいるジュード青年に向けて、ビートルズ(特にポール)が「ポジティブに頑張れば報われるよ!」というメッセージを込めた人生讃歌&応援歌なわけですが、この「ヘイ・ジュード」こそ加藤容疑者の耳に届いてほしかった、と残念です。たとえ、今が死にたいくらいに苦しくても、前向きに生きていると、必ずいいことがある、というビートルズのメッセージは届く人には絶対に届くものだからです。

 空しいことに心の準備も無しにいきなり命を奪われてしまった方々のことを思うと、自分にはまだまだ命があることに感謝しないといけないと思いました。そして、この世で自分と大なり小なり関わってくれる知人友人たちにも心から感謝しなくてはいけないとつくづく感じ入りました。

 と、ここまで書いていましたら、一昨日6月14日の午前8時43分頃に「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」があり、15日の午後9時頃のニュースで死者9人、行方不明13人、重軽傷者221人ということで・・・。ここ八戸市も震度4でかなり揺れ、僕の家では積み重ねてあった本の山が何個か見事に崩れた程度ですみましたが、またまた尊い命が奪われたと思うと、気が重たくなってしまいます。地震で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 
 僕は、自分の体がボロボロでも、生きているだけでも感謝です。

 自分の脳みそが、自分の脳みそであることに、感謝です。

 先日DVDで「ALWAYS 続・三丁目の夕日」をようやく観ることができました。本当は気が進まない戦友会におそるおそる行った鈴木オートのお父さん(堤真一)が、戦友の牛島を連れて家に帰って来て、二人でビールを飲みながら居間で語り合う場面がありました。鈴木お父さんは「なぁ、幸せでいいのかなぁ? 俺は、死んでいった仲間のことを思うたびに、申し訳なくてなぁ・・・今日だって、生き残ったやつの顔を見るとな、どうしても、戦死したやつのことを・・・」と牛島に向かって悲しそうな顔でこぼすと、ずっと正座している牛島はこう返します。「いいんですよ。生き残った人間は、思い切り幸せになればいいんです。仲間の分まで・・・」それを聞いて、鈴木お父さんはウウウウッと号泣します。その後で鈴木お父さんは気づくのですが、牛島は幽霊でした。戦死していたと思っていた牛島が生き残っていたというので大喜びで牛島を自宅に招いた鈴木お父さんでしたが、やはり牛島は戦死していたのです。ということは、「生き残った人間は、思い切り幸せになればいいんです。仲間の分まで・・・」というセリフは死者からのメッセージとなるわけです。僕は、このセリフを何度も何度も反芻し、泣いてしまいました(泣き虫でごめんなさい)。

 生き残った人間は、この世から去っていった人の分まで、真剣に真面目に思い切り幸せになろうと努力しないといけない、と思いました。ただ、だらだらと生きるのではなく、真剣に真面目に亡くなった人の分まで精一杯生きないといけないのです。それが亡くなった方々への最良の供養だと思われます。僕も、寺山、太宰、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ふたりの祖母、井上先生、高田先生、築館先生、伯父さん、叔父さん、中野トクさん(若い頃の寺山修司を支えてくださった方です。生前お会いしたことがあります)、その他の方々の分(まだまだたくさんいます)までも、精一杯幸せになろうと頑張って生きないといけないっ!って思っています。そう気づき決心した瞬間、僕の人生は劇的に変わりました。これからどんどん夢を叶えていこうと固く決意しております。

 この大庭が偉そうに長々と語ってしまい、申し訳ございません。シンプルに思いを伝えることの難しさ、何年歳を食っても、まだまだ増すばかりで、なかなかその壁を乗り越えられません。その点、お許しを!

 そういえば、6月10日にはあの水野晴郎さんが肝不全で76歳で亡くなられました。僕には水野晴郎さんに毎週のようにテレビで会えるのが楽しみな時期(確か小学中学高校のときも大学のときもです)がありました。「A HARD DAY'S NIGHT」というビートルズ初主演の映画に、「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」という邦題を付けたのが水野さんであると中学の頃に読んだビートルズ解説本で知り、水野さんにかなりの親しみを感じていました。水野晴郎さんの分も映画をたくさん観まくって、この世でまだまだ映画を観られるという幸せを僕は感じないといけません。水野晴郎さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

 今回、「鉄腕アトム」のイラストを2枚描きました。1枚は幸せの四ツ葉のクローバーを見つけてくれたアトムで、もう1枚はリアルな鉄腕アトムたち(汗)です。アトムが本当に現実のこの世界にいれば、アトムの活躍で助かった命も何人もあるのに、と残念です。まだまだ本物のアトムの登場までには時間があと何十年もかかることでしょうが、どうか、みなさまのひとりひとりに四ツ葉のクローバーの御加護がありますように・・・とアトムが見つけてくれた四ツ葉のクローバーに念を込めておきました!

 みなさま! いつも御無事で!
 夢を捨てないで頑張りましょう!
 たとえ昨日今日が運の悪い雨や曇りの日であっても、明日はきっと晴れます!
posted by 礼治 at 03:06 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

ビートルズ!!!ジョン・レノン!!!!!

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 ときどきここのブログを覗いてくださっているみなさま、お元気ですか?
 いつもお目通しくださり、ありがとうございます!
 毎日、みなさまがこの地球上で御無事に暮らせますようにとお祈りしております!
 そして、二健さん、お元気ですか?(最近、お忙しそうですね・汗)
 青森県八戸市にいて、この大庭は、生きているのか死んでいるのか自分でもよくわかりません。まるで毎日がゾンビ状態です。最適な血清の注射を早く打ってくれないと、まともな人間に戻れそうもないです(しかし、まともな人間というのはどういう人間のことかわかりませんが)。何ケ月か前に「アイ・アム・レジェンド」という映画を観て、ラストで号泣してしまいました(今まで3回も観ちゃいました)。聴く耳を持たないゾンビを前にして、確実にまともで真摯なセリフを叫んでも意味がないという恐ろしさ。。。僕は今までの人生で、何度も何度も自分のことをわかってほしいと思って、とある人たちに叫んだことがあります。でも、ほとんど無駄でした。相手はどうしても聴く耳を持っていなかったのです。心の耳を持っていなかったのです。この映画のスゴイところは、聴く耳を持たない人間を前にして叫んでも無駄であるということがどういう状態でどういう状況かをきちんと教えてくれるところです。そして、ギリギリの状態にまで追いつめられると、真剣に叫んでいた人間が最後にはどういう行動をとろうとするのか、も教えてくれます(この映画は別バージョンのエンディングもあるそうで、そちらの方をYou tubeで観ましたが、僕からすると緊迫感が無くイマイチに感じられました)。みなさま、どうか、わかってほしいと叫んでいる人が、どこか道ばたにでも、そのへんの病院にでも、コンビニかスーパーマーケットにでもいましたら、どうか一秒でも耳を傾けていただきたいです(その際、その相手がどういう人かきちんと御自分で判断してくださいね)。
 ところで、今の僕のセリフはまともでしょうか? ちゃんと聴く耳を持っている人へ、どうか、届いてくださいますように。。。

 最近、毎日のように聴いているのがビートルズのアルバム「レット・イット・ビー...ネイキッド」です。自分が死んだときにお葬式で流してほしい曲が、ビートルズの「レット・イット・ビー」と「イン・マイ・ライフ」と、ジョン・レノンの「イマジン」です。この3曲だけでも延々とお寺(教会でなくお寺だろうと思いますが)やお墓の前で流してくれたら、嬉しいかも、です。できれば、ビートルズの赤盤&青盤と、ジョン・レノンの「イマジン」のアルバムを順々に延々と流してくれたら嬉しいです。そのとき誰か一人でもビートルズのメッセージを確実に感じ取ってくれたら幸いなのです。
 昨日、眠れない夜に、ビートルズの絵(イラスト)を描きました。ビートルズの中では、やっぱり、僕は、ジョン・レノンが大好きです(他のメンバーも大好きなんですが特にジョンが!)。本当にジョンの歌声は響きます。僕の心の底まで、耳の奥まで、身体中の毛穴の奥まで、ストレートに届くんです。

 
 『レノン忌』
「拝啓、ジョン・レノンさま」と口に出し、あと一言も言えません(涙)……
閉じられたシャッターこじ開けて叫ぶジョン・レノン わが耳に届く「ジョン魂(たま)」
奈落から飛び出る瞬間チャップマンの銃先が耳裏に吸い付く
洗脳をされた男が近寄りて「ハロー、ばんばんばばんば!」で終わり。
「オーノー!」と叫ばれて小野洋子、きりきりと胃が痛むキリストの横に。
ほんの一秒ズレたせい(残高がマイナスのまま)レノン撃たれき
スライド式携帯の剥き出しのディスプレイに残すレノンの遺影

               大庭礼治 『未来』誌2008年3月号

 
 時季外れで申し訳ないですが(汗)、昨年12月初旬に書いた『レノン忌』7首です(岡井先生に3首カットされましたが・汗)。ジョン・レノンは1980年12月8日にニューヨークで殺されました。今までに僕は2回、ジョンの命日に、ジョンが殺された時間に、ジョンが殺された場所に行き、お祈りを捧げたことがあります。そこはジョンの家であるマンションの入口なのですが、現在も住んでいるというヨーコさんが出て来て運よく会えたわけでもなく、なぜか2回目の訪問のときはGLAYのタクローに会ってしまいました。。。ニューヨークのセントラルパークにあるストロベリーフィールズには、一度は行ってみる価値大です。僕も、今年か来年か再来年にでもまた、ジョンを偲ぶ巡礼の旅ができたら、と願っております。
 ジョン・レノンは若い頃(ビートルズ・デビューのあたりでしょうか)、「たった一曲でそいつの人生を変えちまうような音楽を俺はやってやるんだ!見てろ!」といつも叫んでいたらしいです。そんな頼もしいジョンが僕はすごく大好きです。ジョンは太宰治の生まれ変わりのような気がします(太宰も、俺の小説は読んでくれた人間の人生を変える!と言ってましたし)。僕から見ると、あまりにもこの二人には共通点が多過ぎて。。。ジョンも太宰もヤク中毒のときに生み出した作品の、なんとエネルギッシュな! 僕もヤク中毒になりたいと思ったことも10代20代のときにありましたが、そういう大きな壁を乗り越える勇気はなかったのです(涙)。健康サプリばかり飲んでますが。。。かなり前に御縁があって知り合った湯川れい子さんともジョンと太宰との共通点のことで意見が合ったこともあります(この話はまたの機会に!笑)
 この大庭礼治も、「たった一首でそいつの人生を変えちまうような短歌を生み出そうと毎日頑張っているんだ!」と、生意気だと思われようが、叫びたいです。僕が死んで、たった一首の短歌が僕のお墓だったとしたら、笑えますか? 笑えませんか? 57577の合計でたった三十一音の歌が、僕のお墓だとしたら。。。
 ビートルズの音楽・映画や太宰治の小説や寺山修司の短歌・映画(その他まだまだありますが)に出会って、人生が変わったのが、この大庭礼治です。でも、日々の生活の中で死にたくなることもよくあります。アナウンサー川田亜子さんが昨日(26日)自殺されたというニュースは僕にとって大ショックでした。「母に生きている意味を聞いてしまった」と川田さんはブログで書かれていたそうで、先週の僕もずっと、自分が生きている意味を自問自答してばかりでした。母にも実際聞いてしまいました。自分が死にたいと思ったときに限って、どこかで誰かが(特にテレビや映画で見ていて知っている人が)自分の身代わりのように、死神に確実につかまっているのです。ときどき死神が僕の元に来ることもありますが、なんとか無視して頑張っています! 川田さんの周囲に、ちゃんと聴く耳を持ち、きちんと見る目を持っている人が一人でもいたなら、もしかしたら、と残念です。乗用車内で亡くなられたという川田さんが選ばれたその哀れな方法(絶句です)を知って、僕はますますそう思ってしまいました。僕自身は、なるべく一生懸命、ちゃんと聴く耳を持ち、きちんと見る目を持とうと意識して、未熟ながらも努力したいです
 願わくば、この地球上のすべての人が、ちゃんと聴く耳(心の耳)と、きちんと見る目(心の目)を持ってくださいますように。。。(川田亜子さんの御冥福を心からお祈りいたします)。
posted by 礼治 at 17:39| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする